最近 酒の事をよく考えます
なぜ飲むようになったか
父はどちらかと言うと酒にのまれる人で
酔うと暴れたりして、子供心に酔っ払いは嫌いでして
それがなんで飲むようになったか少し不思議です
多分小中学校の環境、友人が大きく影響してますね
区立大向小 今の神南小 四年から六年までクラス替えのないクラス
おそらく実験的な目的のある特殊なクラスでした
早熟な子が多くIQはみな120以上あったでしょう
感性が大人びていました
初めて自分の意志で酒を飲んだのは五年生くらいかな
駄菓子屋での買い食いに物足りなさを感じ
そのころ売っていたサッポロライトというビールを
学校かえりに仲間と駄菓子をつまみに、たまり場の廃墟アパートで時々飲んでおりました
酔うという感覚を知ってしまった始まりです
中学は松濤中ここも面白いとこで、自由な校風とバリバリ日教組の先生が多かったな~
大向 大和田 渋谷の小学校からきてました
大和田は246の向こう側にある地元の商店の子が多く
渋谷は日本鋼管の社宅からの子
大向は神南の商店の子、松濤の裕福な子、百軒店の飲み屋の子、越境の子と様々でした
今から40年近く前としては進歩的な学校で
制服は一応ブレザーがあるけど自由で、ピンクのジーパンとかはいてる奴もいました
髪の毛も自由で半分以上はロン毛です
面白いのはいわゆるツッパリ君のような奴が皆無ということ
しかし真面目でお坊ちゃんという感じではなく、一昔前のチーマー系かな
まあチーマー初期は松濤出身がかなり多かったらしいのも頷けます
帰国子女もかなりいて、みんなませておりました
須賀という奴が映画を撮り出すようになり、それに関わり出してから
酒を飲む機会が増えたかな~
中学生なのに親の都合で一人住まいしている奴なんかいて
そいつんとこで日本酒をよく飲んでました
皆風貌が老けていたせいか、そのころ井の頭線ガード下のもつ焼き街に出入りしても
お咎めなしでした、今から考えるととんでもない中学生でしたね
渋谷の繁華街という環境のせいにできませんか?ははは~
忘れてならないのは、金龍という小さなラーメン屋 惜しまれて3年前に閉店しましたが
松濤中出身者にとって伝説の店、本当にお世話になりました
親爺さんに生意気なこと言うと、本気でよく怒られました
大人になって食べに行って羽振りのいいこと言おうものなら
「偉くなったなこの野郎!」とか言わたものです
この店ではタバコ酒は厳禁!
でも須賀の家で映画のアフレコを徹夜でしてると
親爺さんが大量の餃子とビールを差し入れしてくれました
旨かったな~
いい大人がいるから子供は成長できるんだなと思います
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