2010年5月21日金曜日

居酒屋考  その壱

最近 酒の事をよく考えます


なぜ飲むようになったか


父はどちらかと言うと酒にのまれる人で


酔うと暴れたりして、子供心に酔っ払いは嫌いでして


それがなんで飲むようになったか少し不思議です


多分小中学校の環境、友人が大きく影響してますね


区立大向小 今の神南小 四年から六年までクラス替えのないクラス


おそらく実験的な目的のある特殊なクラスでした


早熟な子が多くIQはみな120以上あったでしょう


感性が大人びていました


初めて自分の意志で酒を飲んだのは五年生くらいかな


駄菓子屋での買い食いに物足りなさを感じ


そのころ売っていたサッポロライトというビールを


学校かえりに仲間と駄菓子をつまみに、たまり場の廃墟アパートで時々飲んでおりました


酔うという感覚を知ってしまった始まりです



中学は松濤中ここも面白いとこで、自由な校風とバリバリ日教組の先生が多かったな~


大向 大和田 渋谷の小学校からきてました


大和田は246の向こう側にある地元の商店の子が多く


渋谷は日本鋼管の社宅からの子


大向は神南の商店の子、松濤の裕福な子、百軒店の飲み屋の子、越境の子と様々でした


今から40年近く前としては進歩的な学校で


制服は一応ブレザーがあるけど自由で、ピンクのジーパンとかはいてる奴もいました


髪の毛も自由で半分以上はロン毛です


面白いのはいわゆるツッパリ君のような奴が皆無ということ


しかし真面目でお坊ちゃんという感じではなく、一昔前のチーマー系かな


まあチーマー初期は松濤出身がかなり多かったらしいのも頷けます


帰国子女もかなりいて、みんなませておりました




須賀という奴が映画を撮り出すようになり、それに関わり出してから


酒を飲む機会が増えたかな~


中学生なのに親の都合で一人住まいしている奴なんかいて


そいつんとこで日本酒をよく飲んでました


皆風貌が老けていたせいか、そのころ井の頭線ガード下のもつ焼き街に出入りしても


お咎めなしでした、今から考えるととんでもない中学生でしたね


渋谷の繁華街という環境のせいにできませんか?ははは~



忘れてならないのは、金龍という小さなラーメン屋 惜しまれて3年前に閉店しましたが


松濤中出身者にとって伝説の店、本当にお世話になりました


親爺さんに生意気なこと言うと、本気でよく怒られました


大人になって食べに行って羽振りのいいこと言おうものなら


「偉くなったなこの野郎!」とか言わたものです


この店ではタバコ酒は厳禁!


でも須賀の家で映画のアフレコを徹夜でしてると


親爺さんが大量の餃子とビールを差し入れしてくれました


旨かったな~


いい大人がいるから子供は成長できるんだなと思います


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